美 容・予 防・健 康


「院 長 の 経 歴」

           1964年8月 陰イオン滲透療法に出会う。
          3年ぐらい前から、疲労なのか、姿勢なのか、はたまた動かし方なのかは
          不明でしたが、右肩甲骨中央の縁付近に、ピンポイントの痛みが発症して、
          半日で背中の右半分。1日で背中全体に発熱と、猛烈な痛みに覆われました。

          当時の乗用車は、フェンダーミラーでした。右側のミラーを見る事は、
          容易でしたが、左側を見る時は、強い痛みが伴いました。立つ、座る、
          寝るも
ままならぬ状況が、7~10日続き、その間は痛み止めの注射で、
          しのいでいました。そして自然治癒。この繰り返しが年に、4~5回でした。


          あの時も、金曜日の朝にピンポイントの痛みが発症。仕事で病院に行けず、
          土曜日も仕事。暑い日曜日、痛みに耐えながら蒲団に伏していたところ、

          近所の友人が訪ねてきました。私を見た友人は、どうした。痛むか。
          病院に行ったか。などと聞いてきましたので、しゃべるな頭に響くと、
          怒鳴ってしまいました。それでも友人と
言う者はありがたいもので、
          目黒()に行こう。と、私に言いました。
目黒に何がある。と、聞くと、
          陰イオン滲透療法って言うから、ますます腹がたってきて、病院で治らない
          ものが、そんなもので治るか。って、今度は
罵倒です。
          でも、友人は、優しく、そして強引に自分の車で、陰イオン滲透療法の
          施術を行なっている目黒に、私を連れて行ってくれました。アパートの
          1室に機器と、ベッドが設置されていて、中年のご婦人(我が師)
          迎えてくれました。


          シャツとズボンを脱いで下さい。と言われ、ズボンは脱ぎましたが、
          痛みでシャツが脱げません。我が師に手伝って頂いて、やっとの思いで
          脱ぎました。やれやれと一息ついていたら、ベッドで仰向けになって下さい。
          と、優しいお声が、悪魔の声に聞こえました。
背中に発熱と痛みがある
          時は、仰向けに寝られません。寝た事がありません。って、言っても
          駄目でした。それでは施術が出来ませんの一言でした。


          四つんばいでベッドに登り、さあ、どうしよう。この状態でも耐え難い
          痛みがある。よしっと、覚悟を決めて右手をベッドからずらし、壁に背中を

          ぶっつけながらの仰向けです。頭が爆発して、死ぬかと思いました。

          施術が始まっても、しばらくは頭と背中が痛みで、しびれていましたが、
          痛みで寝不足だったためか、知らぬうちに、うたた寝をしていました。
          約1時間の施術を終え、起き上がって着衣する時は、痛みがありません。
          その夜は、優しい友人と痛飲した事を、今でも忘れていません。

          その後、5回ぐらい同じ症状になり、施術を受けました。
          そして、また、
ピンポイントの痛み。また施術だ。と、思っていましたら、
          痛みが広がらず、それ以降の再発はありません。


          これは良いと、家族や親戚、友達、仕事仲間、知り合い、会う人、
          見る人、袖すり合うも他生の縁。と、ばかりに紹介して、疑って
          行こうとしない人を、私の車に乗せて連れて行ったりしているうちに、
          土日祝日の予約が取れなくなってしまいました。


                 ここで一息入れましょう。お口直しです。


                    創始者 竹尾時丸翁 曰く、
            良くはなっても、悪くはならぬ、信じなくても、寝てれば(施術)治る。

          陰イオン滲透療法に出会う前の事です。当時の私は、仕事も遊びも、
          精一杯で
した。若気の至りの暴飲暴食で、胃痙攣を数回。胃潰瘍を
          2回経験しました。
胃潰瘍1回の完治に、数ヶ月を要しましたが、
          服薬などで何とか、しのぎました。
胃潰瘍の3回目は、当然の様に、
          目黒()へと、車で出掛けました。途中、痛いと言うか。重いと言うか。
          吐き気の様な、氣持悪い様な、悪寒もで、
何とも言えない、耐え難い
          症状に襲われながらの運転です。信号が赤でも、ブレーキを踏む気力が
          無く、やっとの思いの停車。信号が青に変わっても、アクセルを踏む気力も
          無く。後続車のクラクションに、急かされて、息たえだえの発進でした。


          当時の自宅から、
目黒()へは、30分ぐらいの道のりでしたが、
          本当に
たどり着けるのか。と、弱氣になってしまいました。それでも
          何とか、施術用のベッ
に、横たわる事が出来ました。施術開始早々、
          訳の分からない症状は、消え去りました。1時間後は、気分爽快です。
          調子に
乗って、我が師に、今日も飲む約束があるのですが、大丈夫で
          しょうか。と、お聞きすると、もう治っているから大丈夫。でした。

          その晩から、また暴飲暴食が始まり、数ヶ月で4回目の胃潰瘍。そして
          施術。またまたの暴飲暴食を経て、数ヶ月で5回目の胃潰瘍。流石の

          我が師も、この療法を過信しないで下さい。と、お叱りになりました。

          40代の時、話の種にと、人間ドックを體験しました。胃カメラ検査の際、
          胃潰瘍の痕が5ヶ所見つかり、手術の形跡が無い事に、医師は盛んに
          不思議がっていました。これも、
陰イオン滲透療法のお陰です
          胃潰瘍の痕5個、計算に間違いありません。


                       では、本題に戻ります。

           1967年8月 陰イオン滲透療法機購入。
          目黒の紹介をし過ぎたため、土日祝日の予約が取れなくなってしまい、
          致し方なく、小型療法機1台を購入して、自宅で施術を行ないました。が、
          1台ですと極板が2対で、施術に時間が掛かり過ぎになり、もう1台を
          購入して、自家用兼趣味として、近所の人にも施術。その後の宴会を
          繰り返していました。


           1989年9月 川崎区藤崎に移転。
          親が逝き、兄弟が独立するにしたがって、住まいが広過ぎると言う、
          問題が出てきました。それではって事で、マンションに引越しました。
          最初は狭く感じましたが、そのうちに慣れてきて、1室をイオン滲透療法の
          施術室にしました。が、小型療法機2台だけでは、様にならないとの
          結論に達し、大型機を購入し、自家用兼趣味を本格的にしました。


           1993年10月 友人の友人を施術。
          古くからの友人が、友人を連れて来ました。腰が痛くて、居ても立っても
          いられない。と、言うので、ついうっかりと言うか、見るに見かねてと
          言うか。お付き合いのない方に施術をしない。と、決めていましたが、
          成り行きで施術をしてしまいました。劇的な完治に氣を良くした、
          友人の友人は、連れて来る、連れて来る。私が目黒を紹介して、連れて
          行った様に、手当たり次第に、知人などを連れて来ました。最初は
          億劫だった私も、次々に治っていくのを見ていると、だんだん悪い氣が
          しなくなっていました。


           1994年9月 資格証明書取得。
          他人様に、施術を行う事になりましたので、遅ればせながら、民間ですが、
          陰イオン滲透療法の資格をとりました。


           2010年2月 川崎区池田に移転。
          陰イオン滲透療法は、1927年5月に総合治療研究所を創設。と、
          言う様に、歴史は長いのですが、知名度がありません。この療法を
          埋もれさせては、人類の損失との思いがあり、また創始者と同様に、
          陰イオン滲透療法の施術を天職とすべく、現在地にて看板をあげる事に
          致しました。


           2013年12月 足柄下郡湯河原町に移転。

          日々、他に有効な治療法が無い方々を施術しつつ、現在に至ります。


                 

                      宜しければ、お越し下さい。